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死ぬ日を最高にもっていく

2013/03/31
コラム > 帯津良一コラム

 これまで養生については、体をいたわって病を未然に防ぐという非常に消極的な守りで死を持って終わるというものでしたが、それでは面白くないしやる気にもなれません。ホリスティック医学の相手は命の場です。命の場のエネルギーを日々高め続け ること、そして時々生命の躍動をおこして上がり、それを繰り返して死ぬ日を最高にもっていくのがこれからの養生だと思います。

 死後の世界はわかりませんが、わからないからこそ自分で決めていいのです。つまり死後の世界があるか、ないかのどちらが自分にとって好ましいかを考えて 決めるということです。
 脳科学者の茂木健一郎氏のように「死後の世界はない」と言い切る人もいらっしゃいます。氏いわく「この世のすべては脳内現象であっ て、その脳という素材がなくなればすべてはなくなる」ということですが、これも脳内学者の立場から言うと最もな考えでありひとつの態度です。
 また同じ考え を夏目漱石氏もしていて、しかしながら結論は「死後の世界はある」ということです。私の意識が生のすべてである。

 しかしその同じ意識が私のすべてだとは思わない。だから死んでも自分はあるし、死んで初めて本来に自分にかえるのだ」と。彼は40代で死にそうな目に あっていますが、そのときにも慌てふためいた様子はなくあれだけの覚悟ができていたのは死後の世界をしっかりみていたのでしょう。「誰がなんと言おうと人 生を邁進し途中でばたりと倒れて死ぬのがいい」とも言っていますが、それも死後の世界をはっきりと認めている証でしょう。

確かなものはつながりだけである

 これからの医療や養生は死後の世界が非常に重要な存在になってくると思います。私は生と死の間に薄い境界があるような気がしていて、死ぬときにパーンと そこを突き破らなければならないので、死ぬ一週間前辺りで勢いをつけて加速し最後に死後の世界に勢いよく突入しなければならない。
 藤原新也氏が『メメント モリ』の中でも書いていますが「死というのはずるずるとなし崩しに訪れるものではなくてある瞬間に訪れてくるもの、その一瞬を逃さないでつかみとる。だか ら日頃から覚悟をしていなければならない」と言っています。

 五木寛之氏も「明日死ぬとわかっていてもするのが養生なのである」と語っていました。そして、著書『人間の関係』の中で「明日のことはわからない。今日 しっかりやればいい。確かなものは関係だけだ」と書いていますが、私もそう感じます。
 明日死ぬからいいのではなく、勢いよく死を乗り切るために養生するのです。私は死後の世界へ突入する瞬間を「生命の躍動のクライマックス」と呼んでいます が、あまり歳をとってしまうとクライマックスができませんので人間には死に時というのがあり死に時を誤ってはいけないと思います。
目に見える肉体や世の中の雑事、名誉やお金は変わり移ろいゆくもの。

環境とのつながり、人と人とのつがなり、死後とのつながりなど、そういった関係やつながりだけが確かである、思うのです。

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obitu-new-2 帯津 良一 (おびつりょういち)
 帯津三敬病院名誉院長。帯津三敬塾クリニック主宰。
日本ホリスティック医学協会会長。
 主な著書「死を生きる」(朝日新聞出版)「万物を敬う」(春秋社)ほか多数