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ホリスティックな思考とは
2016/01/12
コラム > 私のホリスティック観
『HOLISTIC News Letter Vol.91』 本宮 輝薫 (もとみやてるしげ)
心身一体療法研究所代表/協会理事
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樹を見て森をみる、森をみて樹をみる
ホリスティック医学は、ホーリズム(Holism)に基づくとされます。しかし、このホーリズムというものを明確に理解することはなかなか大変です。そこで、できるだけ分かりやすいように説明してみましょう。
これまでの医療は、「樹をみて森をみない」医療でした。しかし、それでは本当の医療は実現できないとして、私たちは、ホリスティック医学を目指しました。ホリスティック医学では、「樹を見て森をみる、森をみて樹をみる」、そのような視点を大切にしています。現代医学では「樹」しか見えません。伝統医学では、「森」は見えても、個々の樹を正確に見ていくことは、なかなか難しいところがあります。そこで、両者を統合する必要があるのです。
しかしながら、「森・全体」を見るということは、どのようなことなのでしょうか。ここで、ひとつ誤解を解いておく必要があります。部分的な認識を足し算していって全部を集めたとしても、「森・全体」を見たことにはならないのです。森の樹に一本一本印をつけて、それらを全部足したとしても、その森がどんなものか分かりません。森・全体を見るためには、その全体を俯瞰する視点が必要になります。全体を見るためには、少し離れて俯瞰する必要があります。部分を全部足したとしても、全体にはならないのです。
これを、人間の顔でたとえてみましょう。顔は口や目や鼻などからなりたちます。この時、口や目や鼻をひとつひとつ見ていたのでは、その人の顔がどんななのかさっぱりわかりません。ひとつひとつのパーツがどんなに美しかったとしても、それらをただ集めただけでは、福笑いになってしまいます。顔を顔として認識するためには、口や目や鼻の部分を見るのではなく、顔を全体として見る必要があります。
では、顔を認識する、あるいは、表情を認識するというとき、私たちは、何を見ているのでしょうか。口や目や鼻の個々の部分を見ているわけではありません。むしろ、それらの配置や関係・バランスなどから生じる意味を見ているわけです。
「全体とは、部分の総和以上のものである」という時、その「総和以上」というのは、この「配置や関係・バランスなどから生じる意味」を表しています。東洋医学では、健康状態の全体像を見ようとする際、個々の臓器や経絡を診るのではなく、各臓器間や経絡間の関係やバランスを見ていこうとします。
各部分を見て、それを足し算していくのではなく、その部分間の配置や関係・バランスなどから生じる「全体的な意味」を直感していくこと、このことが、ホーリズムの本質となります。
ホリスティックな思考は、全体を俯瞰しその意味を直感するとともに、微細な細部をも繊細に見ていくという、その両方を実現することを目指しています。部分だけを見ていく「原子論」ないし「還元主義」では片手落ちです。かといって、全体を俯瞰する「単純な全体論(ホーリズム)」だけでも片手落ちです。その両者を絶えず統合していこうとする「より高次のホーリズム」、それがホリスティックな思考だといえるでしょう。
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