コラム記事・研究会レポート
文・上野 圭一 (翻訳家・協会名誉顧問)
ヘルシーエイジング
レイ・チャールズの最後の作品を聴いて感動した。いまをときめくノラ・ジョーンズから大御所のB・B・キングまで、12人の仲間とつくりあげた珠玉のようなデュエットアルバム「ジーニアス・ラヴ~永遠の愛」である。とりわけ感動したのは、親友のウィリー・ネルソンと組んで歌う「楽しかったあの頃」という、フランク・シナトラのむかしのヒット曲だった。
17歳のときは最高にいい年だった/小さな町の娘たちと/とろけるような夏の夜に/隣村の草むらで一夜を過ごした/町の明かりから逃れて・・・といった遠い日の回想が、21歳、35歳とつづき、最後の節はつぎのような歌詞になる。
けれどいま残された日は短く/人生の秋が深まっている/さて過ぎた日々をなにに例えようか/思い浮かぶのはビンテージワインだ/良質の古い樽のなかで/表面から澱までが熟成しきって/グラスに注げば芳醇な香りが漂い、色はあくまでも澄みきっている/最高にいい年月だった。
体制社会のアイドルだったシナトラに反発し、みずからの才能だけを頼りとして無頼に生きてきた男がふたり、ともに70代になってすべてを許す心境に達し、仇敵のもち歌をソウルフルに歌いあげたこの曲を聴きながら、最近翻訳したワイル博士の『ヘルシーエイジング』を思い出さずにはいられなかった。 ワイルは同書のページの多くを「老いの真価」の解説に費やしている。ワイン、ウィスキー、チーズ、ビーフ、樹木、バイオリン、骨董品など、歳月をへて価値が飛躍的に高まるようなものに着目しては、そのひとつひとつについて、なぜその価値が高まるのかを考察し、力をこめてその価値のありようを描写しているのである。
「老化は重荷や損失をもたらすものであると同時に、報酬をもたらすものでもある」というワイルは、読者に「『老』と『良』が同義語であるような経験の領域に目をむけてほしい」とくり返し訴える。その「経験の領域」にあるものの代表が年代物のワインやバイオリン、老木や骨董品であり、ワイルは「歳月が培ってきたそれらのものの特質について、よく考えていただきたい。そして、人間のなかにも、おなじような特質を探してみていただきたい」と語りかけている。いま、その語りかけが、レイとウィリーの枯淡な歌声と重なって聞こえてくる。
無定見に若さが賛美され、老いが否定的にとらえられる現代にあって「健康な老い」について考えるとき、必須となる前提条件は「老いの受容」にあり、受容するためには「老いの真価」の再発見が不可欠である以上、それを描写するワイルの筆に力がこもるのはとうぜんのことだったのだ。英語では「加齢」「老化」「老い」「熟成」「時間効果」などがすべて"aging" の一語で表現されるので翻訳に手こずるところが随所にあったが、ワイルと一歳違いの同世代である訳者としても老いは他人事ではなく、翻訳の筆にもつい力が入ってしまったかもしれない。 よく熟成したワインやウィスキー、チーズやビーフなどは、若いそれにくらべると格段に味わい深く、価格も飛躍的にはねあがる。その価値の高さに関与しているのは、時間そのものがもつ変化させる力と、時間をコントロールする人間のわざの力である。
「熟成しきったウィスキーやワインとおなじように、老木もたしかに若木にはない数々の特性をもっている。だが、われわれが老木を尊び、そこに聖性を感じとり、遠路の巡礼をして老木に会いに行くのは、その特性のゆえではない。われわれが老木を讃えるのは、かれらがサバイバー(生存者)だからだ」というワイルは、つぎのようにいっている。
「高齢者であることを恥じず、それを誇りとしている人たちに会うと、わたしはかれらのなかに、老木とおなじ種類の智慧と経験をみいだす。かれらの白髪やしわはもろさの徴候でもなければ、人間美の減損でもない。わたしはそこにサバイバーの旗じるしをみるのである」
老化という厳粛な自然現象に逆らおうとする姑息な「アンチ」を潔く優雅に捨てて、経験の深さや豊かさ、存在と静穏と智慧が織りなす複雑さ、そして老いた生き物だけがもつ特有の力と美を味わう境地に達したとき、われわれは文字どおりの「ヘルシー」な「エイジング」を達成することができるのだろう。 「ヘルシーエイジング」ということばを見聞きするたびに、当分は耳の奥でレイとウィリーの枯淡な歌声が響くことになりそうだ。
文・上野 圭一 (翻訳家・協会名誉顧問)
Prev |
一覧へ戻る | Next |