コラム記事・研究会レポート

目指すは、生と死の統合社会

2024/01/24
コラム > 帯津良一コラム

文・帯津良一(おびつりょういち)

「生きるかなしみ」を敬い、医療本来の温もりを取り戻す

私が病院を開いた1980年代はがん治療の現場は殺伐としていた。
専門病院を通過してやって来る患者さんの多くは、医師に対する不満を抱いていたのである。抗がん化学療法をお断りしたところ、「それなら、もううちの病院には来ないで欲しい」と言われたなどと嘆く患者さんが多かったのである。これでは治る病気も治らないのではないかと、その都度悲嘆に暮れたものである。
もう一つは医療と医学がはっきりと区別されず、医療の現場の真ん中に医学がでんと居座ってしまい、その周囲には「エビデンス!エビデンス!」という高らかな声が谺していたものである。そもそも医療と医学は別物である。医療が戦いの最前線なら、医学は後方にあって最前線が必要とする武器弾薬を届ける兵站部、今風にいえばロジスティクスである。
兵站部は常に性能の良い武器弾薬を保有していなければならないから、これを支えるのは科学の知であって、そこにはエビデンスを伴っている。一方、最前線で勝利を手にするのは、司令官の場を読む戦略的直観、参謀の洞察力、兵士の勇敢さなどに科学の力が加わった総合力、中村雄二郎氏のいう臨床の知である(『臨床の知とは何か』岩波新書)。

さらに医療は本当の戦争ではない。それを支える臨床の知の根底には愛がなければならない。ということで、がん治療の殺伐さを除いて医療本来の温もりを取り戻すために、人間の本性について考えてみた。その結果、人間の本性は「生きるかなしみ」であることに辿り着いたのである。
どういうことかというと、人間はあの世から只一人、この世にやって来て何十年が過ごしたあと、再び只一人あの世に帰っていく孤独なる旅人である。
旅人は旅情を抱いて生きている。旅情とは喜びと悲しみ、ときめきとさびしさなどが錯綜した、しみじみとした旅の想いであるが、その根底にはかなしみが横たわっている。このかなしみこそ、山田太一さん(『生きるかなしみ』ちくま文庫)がいうように、人間の本性であると考えたのである。
そこで患者さんは言うまでもなく、医療に携わるすべての人々が自らの生きるかなしみを慈しみ、他の人の生きるかなしみを敬って生きるならば、医療本来の温もりが戻って来るのではないかと説くこと頻り、さすがに殺伐さが最近やっと和らいで来た。

大ホリスティック医学の基本概念

一方、いつの頃からか、医療とは患者さんを中心にご家族、友人たち、そしてさまざまな医療者たちが繰り広げる”場“の営みであると考えるようになる。医療を支える当事者の一人ひとりが自らの内なる生命場のエネルギーを高めながら、他の当事者の生命場にも想いを遣ることによって、当事者すべての内なる生命場のエネルギーが高まる。すると共有する医療という場のエネルギーが高まる。すると……という好循環が生まれて、患者さんは病を克服し、他のすべての当事者が癒される。これが医療である。
そして、そのためには一人ひとりが他の人々を思い遣るということが基本となってくる。そこで自らの生きるかなしみを慈しみ、他の人の生きるかなしみを敬うということが生きてくるのである。形としては患者さんと治療者が常に寄り添い合うということになる。そして、この寄り添い合うことこそ医療の本態であって、治したり癒したりは方便にすぎないという見方もできるのではないだろうか。

さらに、患者さんが、たとえ病の中にあっても、人間としての尊厳を保ちつづけることをサポートするのも医療の大事な役割ではないだろうか。私が外科医として食道がんの手術に明け暮れ、精を出している頃は恥ずかしい話であるが、患者さんは毀れた器械、私は優秀な修理工といういささかの上から目線があった。これでは体はともかく、心で寄り添ったことにはならない。
それがホリスティック医学になると、その都度、患者さんと私とで相談しながら個性的戦略を作っていくわけだから、2人は戦友の関係になる。上から目線の入り込む余地はない。ここではじめて心で寄り添うことになるのである。蛇足ながら申し上げれば、脱毛、食欲不振、下痢、便秘、骨髄抑制といった副作用で人間としての尊厳を引き裂く抗がん化学療法は、いずれ医療の現場から消え去る運命にあるのではないだろうか。もちろん、ピンポイントの正常細胞を傷めない抗がん化学療法剤が登場すれば話は別であるが。

調和道協会会長のご縁で、谷中にある臨済宗の名刹、全生庵で呼吸法の講義を担当していたある日、時々私の話を聞いてくれていた僧侶の方に声をかけられたのである。曰く、
「医療とは寄り添い合うことであるということには私も賛成です。しかし医師や看護師さんが寄り添うのは精々が心までで、命に寄り添っている人はほとんど見かけませんね」
どきっとして、どういうことかと問うと、
「医療者の方は死を命の終りと見るから寄り添えないのであって、死を命のプロセスの一つと考えれば死の向こう側が見えて来て、寄り添うことができるのです」と。
この世とあの世を共に視野の中に入れて、初めてホリスティックなのだ。そこで、生と死を統合して悠然とあの世に歩を進めることを「大ホリスティック」としたのである。
同様に空間的にも、”上の階層は下の階層を超えて含む”という原理に支えられた素粒子から虚空までのすべての階層を人間まるごととすることを「大ホリスティック」としたのである。凋落著しい地球の自然治癒力の回復も当然、大ホリスティックの対象となる。さらに個物から場へとすすむ医学の歴史の到達するところは、純粋な場の医学の霊性の医学である。

以上の3点が大ホリスティック医学の基本概念である。そしてすべての人が生と死を統合してあの世に歩を進める社会こそ、愛と希望に満ちたホリスティック医学の究極である。

『HOLISTIC News LetterVol.117』より

帯津 良一 (おびつりょういち)
帯津三敬病院名誉院長、帯津三敬塾クリニック主宰。1936年生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東大病院第三外科医局長、都立駒込病院外科医長を経て、82年埼玉県川越市にて開業。西洋医学に中国医学、気功、代替療法などを取り入れ、人間をまるごととらえるホリスティック医療を実践している。日本ホリスティック医学協会名誉会長。著書『死を思い、よりよく生きる』(廣済堂出版)、『ホリスティック医学入門』(角川書店)、『代替療法はなぜ効くのか』(春秋社)、『後悔しない逝き方』(東京堂出版)他多数。