コラム記事・研究会レポート
ホリスティック医学とは何か~過去・現在・未来を見渡して~(帯津良一×上野圭一)
2016/09/29
インタビュー
2016年7月31日(於:東京・笹川記念会館)、創立30周年の記念イベントで、協会および日本のホリスティック医学を牽引されてきた帯津良一氏と上野圭一氏にお話を伺う特別企画が行われました。
帯津 良一 おびつ・りょういち
帯津三敬病院名誉院長/日本ホリスティック医学協会名誉会長
上野 圭一 うえの・けいいち
翻訳家/鍼灸師/日本ホリスティック医学協会名誉顧問
◎インタビュアー:山本 忍(当協会理事/神之木クリニック院長)
草創期の思い出
山本 帯津先生は1982年に帯津三敬病院を設立され、すでに中西医結合の流れを作っていましたが、協会設立当初、何か思い出はありますか。
帯津 病院を開設した頃の私は、ホリスティックのホの字も知らなかったですね。何年かしたら山本さんと降矢さんから研究会での講演を頼まれ、協会の設立に関わっていくのだけど、当初はホリスティックという意識もなく、参加したようなもんです。
その後、西洋医学に中国医学を合わせるということは、ホリスティックじゃないかと思ったんですね。しかし、これは間違いでした。中国医学には心の問題が欠けて、ホリスティックというには足りないところがいっぱいあるのです。
皆さんのおかげでホリスティックの概念に触れ、がんという病気が、からだだけの病気ではないということ、やはりこころと深く関わっているということを感じるようになったので、どうしてもホリスティック医学でなくてはいけないという気持ちになっていきました。
上野 当時の学生たちは熱心だった。「こういうものは学校では学べない」ということで、要望をぶつけてきたわけですが、なかでも東京医大の山本忍さん、降矢さんたちが一番熱心でした。
そうして協会が設立したわけですが、立ち上げの頃、礎を築いてくださった先生方に、改めて感謝を捧げたいですね。もう亡くなられた方もたくさんいますが、初代会長の藤波襄二先生、長く副会長を務めてくださった山下剛先生、関西エリアでは中川米造先生、丸山剛郎先生、藤岡義孝先生など。
皆さん手弁当で、毎月集まってくださった。当時、理事会で、山下剛さんが言った言葉を、まだ覚えています。この会は「野武士の集まりみたいだ」と。
世の中に影響を与えた書籍
山本 ところで、お2人はたくさんの本を出版されていますが、印象に残る1冊をあげるとしたら、どの本になりますか。
帯津 強いて言えば、1990年頃に二見書房から出した『ガンを治す大辞典』でしょうか。日本でがんの代替治療を看板にしている施設100カ所くらいを取材して、最終的に70か所くらいは何とか掲載した本で、明日書店に並ぶというとき、いろんな人から叩かれるんじゃないかと、ちょっと心配だった。
ところが、フタを開けたら怒られるどころか、ほめてくれる人が多くて、上野さんと亡き宮迫千鶴さんが応援演説みたいのをしてくれた。いま思い出してもほっとした気持ちがよみがえり、印象に残った本というと、これが一番かなと思います。
上野 特にないのですが、世の中に対して1冊の本が力を与える源になったという意味では『人はなぜ治るのか』ですかね。何よりもこれは原作が素晴らしい。
最初に著者のアンドルー・ワイルに手紙を書いたら、すぐに返事が来た。「これはアメリカ人のために書いた本だから、それを訳しても、日本人の役に立つかどうか、自分には分からない。だから君の裁量で、必要とあれば自由に書き換えてくれてけっこうだ」という内容でした。
これはすごい人だなと思ったんですね。普通こういうことはあり得ない。著者は自分の本がどのように翻訳されたか気にするものですが、人を本当に信頼すると表明して、相手にすごいプレッシャーをかけるという(笑)。
山本 僕が初めて「ホメオパシー」という言葉と出会ったのも、この本でした。実際に自分が取り入れるのに17年かかりましたが、いま読んでも違った意味で発見があります。名著というのは、それくらい世の中にインパクトを与えるものなのだと思うし、確実に何人かの人生を変えていますね。
死後を見据えて、いまを大切に生きる
山本 では最後に、日本の医療の未来像など、希望的観測でもけっこうです。これから30年後の未来を展望していただけないでしょうか。
帯津 いまの医療がもっともっとこころや魂を診る本来の医療になっていかなければならないと考えれば、未来も現在もなく、毎日が闘いみたいなもんで、未来のことなんか考えている暇はありません。
ただ私自身、当協会の会長を辞めて、病院の理事長も辞めたという状態で、これからどうするかと考えた。西田幾多郎さんの本を読んでいたら、全体について、次のように書いてあったんです。「全体というのは、現実化されたある形にとらわれるものではなくて、関係性の無限の広がりをいうのだ」と。
今まで私は人間丸ごとを見てきました。でも全体というのは無限の広がりですから、これではダメなんで、人間という枠を外して、虚空まで入れなくてはいけないわけです。また、生老病死だけ見ていてもしょうがない。死後の世界もしっかり見ていかなくてはいけない。死後の世界に医療、医学を築いていかなくてはいけない。
と考えると、まだやることがいっぱいある。そういう意味で私は、本当のホリスティック医学をこれからやってみようかと思っています。ただ1人でやるんですから、どうなるか分かりませんが。
私は80歳ですけど、あと16年、96まで生きるつもりなんです。これはいろんなところに書いていますが、週刊誌で対談した司葉子さんの96歳になる旦那さんに惚れちゃったんです。「俺もあそこまでいこう。96歳になって、あれだけの風格を持った人間になってみよう」と。16年あれば、本当のホリスティック医学へ道も少しは前に進めるかなと。
山本 上野先生はいかがですか。
上野 僕もいま生きていますから、明日のことも言えないくらいなので、30年後など、ちょっと想像もつかない
ですよ。世の中を見ると、よくなっていくだろうなという材料を探すのが非常に難しい。そのなかでポジティブなことを無理やり言わなくてはいけないというのは、とてもつらいですね。
今、産まれた赤ちゃんが30歳になる、この30年間というのは大変な時代だと思います。国はその子たちに恐るべき借金を残している。どうしてこんなことがまかり通るのか、未来を見捨てている。自分のことしか考えていないですね。そういう社会に、好むと好まざるとにかかわらず生きなくてはいけないわけですから、未来のことはちょっと語りたくないとしか言いようがないです(笑)。
山本 「過去・現在・未来を見渡して」というテーマで語っていただきましたが、やはり大事なことは「いまを生きる」ということですね。でも、このお2人の生き方や言葉が皆さんの「未来」に大きな役に立つのではないか思います。
ありがとうございました。
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