コラム記事・研究会レポート

治癒力にスイッチを入れる~治るこころのつくり方

2008/03/31
メンタルヘルス

年度誌『HOLISTIC MAGAZINE 2002』
文・黒丸尊治(協会理事・関西支部長)

治癒力にスイッチを入れる

治癒力を発動させるスイッチとして、こころは非常に大きな役割を果たしていることは、経験的にも、また科学的、医学的にも明確なことです。

もちろん実際には、こころだけでなく、からだや食事、遺伝要因など様々な要因が複雑に関連していますが、ここでは敢えてこころの側面に焦点を当て、その視点から治癒力のスイッチの入れ方について考えていきたいと思います。

◆プラス思考よ、さようなら

こころと治癒力との関係について考えていく場合、必ず出てくるのが、この「プラス思考」の重要性ということです。確かに、前向きな気持ちや明るい気持ちは治癒力を高め、マイナス思考やストレスというのは治癒力を下げるということはよく言われますし、実際、精神神経免疫学の研究からも、これに関するデータが多く集められています。

しかしここに、大きな落とし穴があります。それは知識と実際とのギャップです。

すなわち、最初からプラス思考の人にとっては、前向きな気持ちを持つことは、さほど難しいことではないのですが、普段はどちらかといえばマイナス思考で、自分にあまり自信が持てないような人にとっては、いくらプラス思考になりなさいと言われても、そう簡単になれるものではないのです。

それにもかかわらず、プラス思考が治癒力を高めるという事実ばかりが一人歩きしてしまっているせいか、マイナス思考に陥っている人にも、プラス思考になるよう求められるケースが多々あります。ところがそういう人たちは、どうしたらプラス思考になれるのかが分からないため、大変困惑することになります。

プラス思考の重要性を理解することと、その人がプラス思考になれることとは、全く別の次元の話であり、この2つは、実は何の関係もないことなのです。

いまだに多くの医者や治療家が、黄門様の印籠のように、「気持ちの持ち方が大切」と言い続けているところをみると、もしかしたら、プラス思考が治癒力を高めるという事実を教えてあげさえすれば、実際にプラス思考になれると思いこんでいる人が結構多くいるのかもしれません。

これを患者さんの立場から見てみると、もっと重大な問題が見えてきます。それは、前向きな気持ちが持てるよう努力することが、かえって、その人を落ち込ませてしまうという事実です。 なぜならば、マイナス思考の人が、プラス思考になろうと思っていくらがんばっても、ほとんどの場合、プラス思考にはなれません。そうなると、やっぱり自分はダメだと思ってしまい、落ち込んでしまうというわけです。

結局のところ、「前向きな気持ちが大切」とか「自分に自信を持て」といった類の言葉では、その人のこころを落ち込ませることはできても、プラス思考に変えることはできないのです。当然、このようなこころの状態は、からだの治癒力にもマイナスの影響を与えることになります。治癒力のスイッチを入れようとして、実は全く正反対のことをしてしまっているのです。

このように、知識としての「心」と、実際の「こころ」とは全く異なるものであるということを、まずは知っておく必要があります。

◆「ねばならない」思考

前向きな気持ちが大切だというアドバイスに勝るとも劣らず多いのが、「気にするな」「こだわりの気持ちを捨てろ」といった類の言葉です。これも、前向きな気持ちを持つことと同様、とても難しいことです。なぜならば、気にしまいと思えば思うほど、より一層気になってしまうというのが、通常のパターンだからです。さらに、この悪循環を繰り返すことで、いつまでたっても変わらない自分を責めたり、落ち込んだりするようにもなってきます。

「気にするな」といった言葉も「前向きな気持ちが大切」といった言葉と同様、落ち込みの気持ちや無力感を引き出すことはできても、プラスのこころの状態を作り出すことはできません。

しかし、まじめな患者さんほど、治療者から言われたことを素直に実行しようと努めます。ところが実際には、言われたことができない自分に失望することになります。

このような人たちには、実はある共通の思いこみがあります。

それは「ねばならない」思考と言われるものです。

例えば「前向きな気持ちにならなくてはならない」「気にしてはいけない」というように、この思考にはすべて、最後に「ねばならない」「してはいけない」「すべきである」といった類の言葉がつきます。

この「ねばならない」思考を持っている人は、何か問題に直面すると、実際にはできないことであるにもかかわらず(例えは「気にしない」ことなど)、それをしなければならないという思いにとらわれているために、何とかしようと努力をします。

そのためどうにもならない状態に陥ってしまい、結局はそんな自分が嫌になり、落ち込んでしまうことになるのです。この「ねばならない」思考には、他にもいろいろなものがありますが、一見すると全く当たり前のように見えるものもたくさんあります。

たとえば「自分の責任は果たさなければならない」「人には迷惑をかけてはいけない」「挨拶はきちっとすべきである」といった考えは、どれも常識的なことばかりです。

このように、当たり前なことだからこそ、当然しなくてはいけないと思いこんでしまうのかもしれません。ところが実際には、このような当たり前なことであったとしても、それがどうしてもできない場合もあります。

たとえば、うつ状態になり、会社に行けなくなってしまった場合などがそうです。人には迷惑をかけてはいけないという思いがあるにもかかわらず、実際には会社には行けず、みんなに迷惑をかけざるを得ない状況になります。

この場合、これはやむを得ないことだと開き直り、しばらくの間はゆっくりと休養しようと思えれば、気持ちも楽になり、段々ともとの状態に戻ってこられるのです。ところが「ねばならない」思考を持っている人は、たとえ自分がどうにもならない状況であろうとも、人に迷惑をかけてはいけないという思いこみがあるために、何とかがんばろうと思ってしまい、結局は、悪循環の輪に入り込み、より一層うつ状態を強めてしまうことになるのです。

◆こころの回復力

一般には、治癒力はからだのみに備わっているように思われがちですが、実際にはここ ろにも備わっています。傷ついたからだが段々と回復し、もとの状態に戻っていくように、 傷ついたり、落ち込んだりしたこころも、徐々に回復し、また平静な状態に戻る力を持っているのです。

実際、どんなつらいことや悲しいことがあっても、しばらくの間は、立ち直れないくらい 落ち込んだり絶望感に打ちひしがれたりするかもしれませんが、たいていの場合は、しばらくすると、また立ち直ってきます。まさにこころにも、からだと同様、回復力があるのです。そして、こころの回復にともなって、からだの治癒力も本来の力を発揮できるよう になってきます。その結果、落ち込んでいたときには現れていた身体の症状も、次第に改 善の方向へと向かっていくわけです。

このように、人のこころには本来的に、無理に気持ちを変えようとしなくても、おのずと最も適切な状態に変化しようとする力があるのです。

ところが、せっかくの変わろうと するこころの力を妨げるものがあります。それが「ねばならない」思考です。落ち込んで いる人でも、たいていの人は時間がたつと徐々に回復してくるのですが、それを「いつま でも落ち込んでいてはいけない」と思ってしまうと、それがこころの回復力を阻害してしまうのです。

このため、「ねばならない」思考でがんじがらめになっている人は、落ち込み状態から、なかなかもとに戻れなくなってしまうのです。よって、いかにこの「ねばならない」思考を緩めるか、またはうまく外すかが、こころの回復力を十分に発揮させるための重要な鍵となるのです。そして、こころの回復力がう まく機能すれば、それは自ずとからだの治癒力のスイッチを入れることにもなるのです。

◆努力ではなくきっかけ

「ねばならない」思考により、こころの回復力が阻害されていなければ、時間の経過に伴い、自然とこころの状態もよい方向へと変化してきます。

一方「ねばならない」思考に とらわれている場合には、これを緩めてあげることが重要となってきます。その方法には、 いろいろなものがありますが、「ねばならない」思考の存在にただ気づくだけでも、自然と 外れてしまう場合もありますが、なかなかそう簡単にはいかない場合もしばしばあります。

そんな場合には、「今のままでいいよ」というメッセージを与えてあげることも、比較的有効な方法です。例えば「もっと前向きな気持ちにならなくては」とか「いつまでもクヨクヨしていてはいけない」と思っている人に対して、「前向きな気持ちになるというのは、そう簡単にできることではないので、今はそんなことをしなくてもいいですよ」とか「そんな状況なら、クヨクヨしてしまうのも無理からぬことだから、しばらくの間は、クヨクヨ していても構いませんよ」と言ってあげるのです。

そうすることで、ずいぶんとこだわりの気持ちが緩むので、本人もとても気持ちが楽になり、結果としてこころの回復力が促さ れることになります。そして、この心地よさが、治癒力のスイッチを入れることにもなるのです。

当然のことながら、それでもなかなかうまくいかないことも少なからずあります。その場合に、大切となるのがきっかけです。このきっかけには、様々なものが存在します。ある人との出会いや、誰かのちょっとした一言、ほんの些細な体験や出来事、環境の変化、 偶然の出来事など、何でもかまいません。要は本人がホッとできたり、「あっ、そうか」と か「まあ、いいか」と思えるような、何かがあれば、それはすべてこころの回復力を促す きっかけとなりうるのです。

また、西洋医学の薬や鍼灸をはじめとする各種代替療法も、このきっかけとなりうる大きな役割を果たします。例えば、これらの身体的側面からのアプローチにより、なにかし らの身体の変化を感じ取ることができ、「もしかしたら、これでよくなるかもしれない」と思ってもらえたならば、その治療法は、すでにこころの回復力を促すための立派なきっかけになったと言えます。

さらに、このような臨床の場面においては、信頼感や安心感も重要なきっかけとなります。もしも治療者が、患者さんに信頼感や安心感を抱いてもらえるような関わりを持つこ とができたならば、これはこころの回復力を活性化させるための、きわめて重要なきっかけとなります。

患者さんが「この先生は、私のことをちゃんと分かってくれた」と感じた瞬間、まさにこころの回復力にスイッチが入るのです。よって、西洋医学や代替医療を問 わず、どんな方法で治療を行おうとも、こころの回復力を十分に発揮させるためには、 療者のちょっとした言動や関わり方のすべてが、大きな意味を持つことになります。

このように、こころは努力によって変えるものではなく、何かしらのきっかけによって、 自ずと変わるものなのです。

しかし、だからといって、努力はするべきではないと言っているわけではありません。自分の気持ちを変えようとする努力は、空回りを生むだけであり、あまりお薦めはしませんが、きっかけを作るための努力は、とても意味のある重要な ことです。

きっかけは、多ければ多いほど、自分の気持ちが変わるチャンスも多くなるの わけであり、そのための努力は、とても大切な作業となります。ただし、ここでも無理にきっかけ作りの努力をする必要はもちろんありません。そんなことすらしたくない人にとっては、それは「きっかけ作りをしなければならない」というこだわりを持たせてしまう だけであり、かえってマイナスの結果を生んでしまうからです。このような時には、「きっかけ作りなんかはしなくてもいいよ」と言ってあげ、自ずと訪れるきっかけを待っていればよいのです。

このように、こころの回復力は、何かしらのきっかけにより促進され、自分の気持ちを変えようとする努力により、阻害されます。よって、「治るこころ」をつくるためには、いかに治ろうとするこだわりを緩めるか、いかに「あっ、そうか」とか「まあ、いいか」と 思えるきっかけを見つけ出せるかがポイントとなってきます。

「治るこころ」を作ろうとす るこころが、実はそれを妨げているという皮肉な現実がここにはあります。